「マスター、準備はお済みですか?」
「うん、大丈夫。皆は?」
「外で待っていますよ。さあ、行きましょうか」
微笑みながら差し出される手を取って、は頷いた。
どうしよう、みんなといられることがこんなにも楽しい。



暖める



「遅ぇ」
外に出て早々聞こえていた声は、爽やかな朝には到底似つかわしくない不機嫌な声だった。
「ごめんね、ルナ君。お待たせしました。それと、おはよう」
は苦笑し、その声の主を見、挨拶した。
返ってきたのは、あぁ、という短い言葉だけだったが、別に怒っているわけではないことをは知っている。其れが彼のいつもの挨拶だからだ。
それに、多少遅れたところで本気で怒るような気の小さい性格ではないということもまた知っていた。
黒くつややかな、所謂烏の濡羽色と呼ばれるような黒髪を持つルナと呼ばれた彼は、の抱えていた荷物をひょいと持ち上げるとさっさと歩き出した。
素直でない気遣いに、相変わらずだなぁと笑みがこぼれる。
「マスター、どうかしましたか?」
「何でもないよ。ルナ君追いかけようか」
少し間があいてしまった距離を埋めるべく、は小走りで駆け出した。




「しかしまあ、も驚かなくなったよなぁ。つまんねぇの」
「そりゃあ、もう随分たつしねぇ」
口を尖らせて言われた言葉に、は笑って言った。
「新鮮だったけどなぁ。人型とって驚かれるなんざ、思ってもみなかったぜ」
「だって、びっくりしたんだよ。まさか、ポケモンが人になるなんて思わなかったから」
「いや普通だって」
「私には普通じゃなかったんです!」
言いながら、は思い出した。
そうだ、初めて会ったときは本当にびっくりした。
まさか、人だと思っていた青年がいきなり獣に変わってしまったのだから。
「うわっ!!」
「おお、驚かすの成功」
「まだ慣れてねぇじゃねえか」
目の前で突如鳥へと姿を変えた青年につい声を上げると、たちを後ろで見ていたルナは、呆れたように息を吐いた。
「マスター、時々私達がポケモンだってこと忘れてるでしょう」
くすくすとおかしそうに笑う、傍にいた青年に、は困ったように笑いかる。
「だって、ツユ君。皆いつも人型でいるから。いきなり戻られるとほんとに驚くんだよ」
周りにいる青年たちにとっては、トレーナーと呼ばれる存在だった。




「ライチュウのヒカル、ブラッキーのルナ、シャワーズのツユ、ピクシーのユカリと、ネイティオのヨル。えぇと人間1とポケモン5です」
「了解しました」
運が悪ければ、ポケモンセンター近くの宿はいっぱいで宿泊できないこともあるのだが、今日はすんなりと部屋へ入ることが出来た。
なにしろ、5人の大の男が集える部屋が必要になる。申し訳ありませんと断られることもしばしばだ。
ポケモンをボールに仕舞えば、だけになるのだからこんな宿に苦労することもなくなると思うのだが彼らは全員が全員がんとして首を縦に振らない。
ならばせめて獣型になってくれと言っても承諾しない。虫除けだなんだと言われたがそんなことよりこの密度の高い一室の方が、にとっては解消したいことの上位に入る。
「ひ・・・、久しぶりのベッド・・・」
は目を輝かせてそこにダイビングした。
ふかふかだ。少し高い目の料金を払っただけはある。はもうこれだけで満足だった。
「私ここ使っていい?」
置かれていた真っ白なシーツに喜びをかみしめながら、荷物を置き座り込んでいた面々を振り返る。
「いいも何も、流石にマスターと取り合う気はありませんよ。あと一つの座を巡っては争奪戦になるでしょうけどね」
ツユはの隣のもう一つのベッドを見ながら苦笑した。
もうすでにそこでは二人が押しのけあいをしている。
「どけ」
「は?意味わかんねぇ!!今日は俺だろ!!疲れてんだ!」
「どけ」
「お前それ以外言えねぇのかよ!!絶対譲らねぇぞ!!」
「・・・ね、ほんとに私ここ使っていいのかな?」
あそこまでする価値のあるものに自分は楽にたどり着いてしまっていいのか。
ルナとヨルを横目にそんな風に伺い見ると、それまで我関せずといった態度で騒ぎを気にも留めていなかったヒカルは、大きく溜息をはいた。
「マスターはだろう?使ってくれ。あいつらは気にするな」
「それに、マスターが遠慮することありませんよ」
「ツユ君・・・」
起こした体をやんわりとまたベッドに戻されたはありがたくそこを使うことにしたが、そのままツユがベッドの争奪戦に加わったことに苦笑を隠せなかった。
「あ、おひーさん隙ありー。よっしゃベッドゲット!!」
「ユカリ君」
「ゲットじゃねぇよ阿呆」
すべり込んできたユカリを、いつのまに争奪戦の現場を離れたのかルナは容赦なくはたいた。
「おまっ・・・、遠慮しろよ」
手加減なしで叩かれたらしく、痛ぇと頭を抑えながらユカリはルナを睨む。
しかし当のルナは何処吹く風で鼻で笑っていた。
「ユカリ、姫さんのはとっちゃだめだって」
「え、いいよいいよユカリ君。譲ろうか?」
いそいそとそこを退き始めるを慌てて押し止めながらヒカルはユカリを軽く睨んだ。
「ユカリ、そこは退け」
「ヒカルさんに言われたらしょうがないなぁ」
「別にいいのに」
笑いながら言うを、ルナは呆れを含んだ目で見る。
まったく、コイツは何もわかっていない。
「一番体力ねぇのお前だろうが」
「え?」
「暫くきちんとした所で休めてもいませんでしたしね。僕たちなら平気ですから、マスターはちゃんと睡眠をとってください」
「そうしてもらわないと困るしな」
ルナ、ツユ、ヒカルに言い切られてしまってはしかたがない。
途中でへばって迷惑をかけたいわけではないのだし。
はありがとうと礼を言い頷いた。
「もうお休みになりますか?」
「うん・・・そうだね。眠くなってきた・・・」
瞼が落ちかかっているを見て、ツユは微笑ましそうに尋ねた。
自分たちは騒ぐ体力が有り余っているが、彼女は疲れているのだろう。
人間で、女性だ。気を配ってあげなければならない存在だし、何より自分がそうしたい。
「ん・・・」
「おやすみなさい、マスター」
ツユは髪を撫でそう呟いた。
「ん。待って・・・、その前に」
はツユだけでなく、周りにいる全員を見て、ふにゃりと笑った。
「あのね、初めはどうなることかと思ったけど」
もう半分夢の中なのか、その意識は危うい。しかし、の言葉ははっきりと聞き取れた。
「みんなといれて、本当に楽しいの。ありがとう」
途端に寝入ってしまったのか、静かな寝息がその後に聞こえる。
残された男たちはしばらく何も言わずに固まった。
「・・・・あぁもう敵わねぇよなあ姫さんには」
どっと脱力したように座り込み力なく笑ったのはヨルで、僅かに口の端を上げそうだなと同意したのはヒカルだった。
「可愛いこと言いますよねぇマスターも」
一番近くでの笑みを見言葉を聞いたツユは困ったように笑った。
起こさないように、静かにその場を離れようとしたときぐっと服を引かれ、の隣に倒れこむ。
「マスター・・・」
握りこんだ手は堅く結ばれ起きる気配など微塵もない。
ツユは苦笑し、仕方ないなとそのまま布団に潜り込む。
「おいツユてめぇ」
「放してくれないのはマスターですし。それと静かにねルナ、起きてしまいますから」
静かに睨みをきかすルナを物にもかけず人指し指を唇にあてる。
「今日の僕の寝床はここで」
「うっわずりぃツユ」
「有り得ねぇ」
抗議と非難の声を聞き流しツユは我関せずと寝に入った。
「じゃあ俺は此処で」
「うわヒカル!!」
そんな隙にすんでまで争われていたベッドに陣取っていたのはヒカルで、彼にも容赦なく小声で非難の声が集中していたがそれくらいで譲ることなどありえない性格の持ち主である。
結局期を逃した残りの三人はすごすごと引きすがったのは余談である。


こんな騒動が屋根のある宿に泊まるたびに起こっていることは、誰より先に寝ているにはまったく与り知らぬことであった。



2007.7.8