栄口の彼女というポジションについて早幾年。
安らぎの中に浮かぶような満足こそあれ、不満など微塵もない。
栄口が野球部に所属したために居る時間が極端に少なくなったことは、寂しくないといえば嘘になる。
けれど、どれだけ彼がこの心を占めていたのか。どれだけ自分が彼を必要としていたのか。
恋に生きる、なんて表現は自分には似合わない。不特定の恋なんかじゃなくて、たった一人でなければいけないことに気付けたのは、とても幸運なことだと、はそう思う。
離れるときもあるから、一緒に過ごす時間の大切さがわかる。
すれ違うときもあるから、分かり合えたささやかな喜びを確かめられる。
だから、無理などしなくて良いのだ。
これからも共に居られるのならば、例え今は会えなくても。
虚勢でなく、心からそう思えるようになったことが誇らしい。



たった1時間の休みでも



練習をしなければ、当然に体は鈍る。
けれども、酷使している体を休め労るためにも“休日”は必要だ。
そんなことで与えられている栄口の部活のない休みの日、はいくぶんそわそわとして、栄口との待ち合わせ場所で佇んでいた。
二人で出かけることなど、今まで何回もあったというのに緊張する。
服装はどうか。髪型はどうか。何かおかしなところは?
穴が開くほど鏡の中の自分を見つめてチェックして、それでも落ち着かないのは仕方がない。所謂乙女心というやつだ。
不安が胸の内を占める。けれど。

―――っ、ごめん、どのくらい待った?」

彼を一目でも見ると暖かな気持ちが不安など凌駕しあふれ出す。留まるところを知らず、次々と。
「待ったもなにも、まだ約束の時間の十分前だよ、勇人」
の姿を見とめて走ってきた栄口の様子に、は小さく笑う。
待つ時間だって、本当に、何てことないほどに、それすら愛しく思えるほどに。
「そっか、焦ったよ…、遅刻なんて絶対嫌だったし。――――でも、お待たせ、
「……うん」
たまにしかない休みを、こうしてのために使ってくれる。
「何笑ってんの?」
「何でもない。幸せだなぁって」
偽りなく思う。
目を丸くして顔を赤らめる栄口にもう一度笑いかけて、は胸が弾むのを感じた。
と一緒の時間を作るために最大限のことをしてくれる栄口に、これ以上望むことなどありはしない。
願うのはただ、栄口がこれからも栄口らしくあるように。
それから、願っても良いのなら。



まだ頬が赤いまま、それを隠すように顔をこちらに向けないまま、彼がためらいなく手を差し出す相手が、変わらずでありますように。

「照れてる?顔赤いよ」
がそんなコト言うからだろ……。ったく」

繋いだ手が、離れることのないように。




こうして二人で出かける機会を重ねるにつれて、いつの間にか暗黙の了解となっていたことがある。
出かけて行く場所を決めるのは、お互い交互に。
栄口もも、絶対に自分の意見を通さなければ気がすまないというタイプではない。
そういえばどこどこへ行きたい、とどちらかがぽつりと洩らすと、ならそれで良いんじゃないかと足は其処へ向かう。
むしろ、行き先など何処でも良い。二人で居るということが重要なのだから。

「勇人、適当にぶらぶらでいいかな?先ご飯食べよっか」

今回はの番で、しかしめぼしい目的地がなくて提案する。
昼前に家を出たので、歩いているうちにちょうど良い昼飯時になるだろう。
(この辺りで美味しいお店……っていうと)
頭の中で地図を巡らせ探す。
安くて、両方の味の好みに合う店。
そういうのを考えるのはの方が得意だ。なので来慣れた場所ならば自然とそれはの役割となる。

「うん、勿論。そうしよっか。……あ」
「どうしたの?」

何時もなら二つ返事で応答するはずの栄口が途中で言葉を途切る。
少しだけ驚いてきょとんと見返した先に、困惑顔の栄口がいる。

「えー……と」
「まずいこと、ある?あ、時間がそんなにないとか?」
「いや、ちゃんと今日休みだし途中でほっぽり出したりしないからそれは安心して。じゃなくて」

小声でなにやらぼそぼそと呟く栄口の言葉が聞き取れなくて、は必死に耳を傾けた。
そして聞こえてくるのは、ちょっと色々苦しくて、や、今月いろいろあって、などということ。

「…………お金?」
「…………うん、ゴメン。正解」

どうやら金欠らしい栄口に、は心配いらないと笑った。
貧乏学生にも親切な財布に優しい値段の店だ。
安くすますなら別にファーストフードでも構わないが、それでは面白くない。
店を探すのはの趣味で、特技ともいえる。

「大丈夫、まかせて!絶対満足させる」
「ほんとなんか、助かるよ。の選ぶ店でオレに合わないとこってないもんなぁ。相性良いんだろうね」
「……そう言ってもらえると嬉しい限りです、かな」

まかせられるのは嬉しいことだ。
顔が自然と緩んでいくのが自分でも感じられて、はさり気なく手を顔に当てた。
付き合いたてでもあるまいし、こんなことを褒められたくらいで照れてどうする。
けれど、もちろん自信があるから彼を其処へと連れていくのだけど、好きである何かを共有できるのは、自分でも恥ずかしくなるほどに満ち足りる。

「そういえば珍しいね」

店に向かいながらは栄口に尋ねる。
金遣いが荒い栄口など想像できないが、どうしたのだろうか。
付き合い初めの頃は両方が浮かれて、デートごとにお金を使いすぎたこともあったが、(若気の至りだ)何かあったのだろうか。
「うん、まぁ……ちょっとね」
言い辛そうなのでそれ以上聞くことは出来なかった。
何でも知ろうとすることが、その人を理解することではないと思う。
それはもちろん、知らなければ人は歩み寄ることなどできない。けれど、無用な関渉とそれは違う。
見極めはとても難しくて、ときには踏み込んで後悔する。曖昧に聞き流して、寂しさを覚える。でも。
「ちょっと恥ずかしかったりする理由なんで流してくだサイ
「ふふ、了解勇人」
それすら越えていつかわかり合うために努力することが嫌いではない。




「ランチセット二つで」
「プラス三百円で食後ケーキセットがお付きになりますが……」
「勇人、どうす……」
「あ、いる。じゃあそれ二つお願いします」
「かしこまりました」
注文を終えて、店員が下がった後、は堪えきれずにクスリと笑った。
「……何か文句ある?」
栄口が罰が悪そうに横を向く様子がおかしくて、まだ笑いが止まらないままは首を振った。
文句など何もないが、の様子では信じてもらえないだろう。
は軽くごめんと謝ると、水を口に含む。
「だって、お金ないって言ってたからケーキは次回で良いかなって思ってたのに」
いくぶんか落ち着いてからがそう言うと、栄口はふてくされたように頬杖をついた。
「そんな切り詰めるほど困ってるわけじゃないんだけど。てか、と出かけるんだからそのくらいは持ってるよ。あとケーキ食べ損なうのは後悔すると思っ…………た」
「……ふっ、あはは」
たぶん、最後のが一番の理由だ。
「笑うなー、悪かったなオトコがケーキ好きで」
「誰も悪いとか言ってないでしょ。一緒に美味しいねって言い合える方が私は嬉しいもの」
ケーキが食べれないなんて人は人生の半分損してる!と以前は栄口に語ったことがある。
その時栄口は、大袈裟なと苦笑しながらもオレもそう思うと頷いてくれた。
だから、自分一人で楽しむよりは一緒の方がもちろん良い。
「それは嬉しいけど。男が可愛いもん食べてるだけでヘンな目で見られるのは差別だ……」
「私につき合わされてるって思うよ、きっと」
それに、栄口が思うほどおかしなことでもないと思う。
男子高校生が甘いものを食べているのを見るのが可愛く思えるのは、に栄口がいるからだろうか。
「あ、ランチ来た」
「なんか、やっぱりってすごいなぁ」
店員がゆっくりと皿を目の前に置き終わり去っていったその時にしみじみと呟かれた言葉に、は首を傾けた。
「何が?」 「野球部の奴らと居ればファーストフードじゃんか。それが、そんな値段変わらずにオレをこんなこと連れて来てくれるしさ」
「朝から晩まで野球してる人たちと、暇を持て余してる私との時間の使い方が違うだけでしょう」
比べることではない。
どちらが楽しいか、などを比べられるはずもない。
に出来るのは、のために時間を使ってくれる栄口をいかに喜ばせられるかだけだ。
そのためなら雑誌はチェックするし口コミは確かめるし自分の足で店を見る。趣味と化してしまっているから、頑張っていることではないかもしれないけど。
「これからも、よろしくお願いします、
「こちらこそ、勇人」
まぁ、両方が楽しめるならそれでいいのではないかと。




時間の流れは、いつも等しくなどない。
一時間は六十分で、一分は六十秒で、それは変えようもなく。けれど、どうしてこんなにも早いのだろうと考えても詮のないことを時々思ったりする。
昼飯を終え、街を歩き、他愛もないことを話して、そんな会話が楽しくて。
そんなことをしている間にも日は暮れる。
酷い、と誰にもなく思ってしまう。どうでも良いときは、時間など過ぎるのは遅いのに。
、どしたの?」
「え?いや別に……、何でもないよ」
この時が終わるのが寂しいなんて、そんな子供のようなこと。
、あのさ。……今度、休みがいつあるかわかんないんだ。ゴメン」
手は繋がれたまま、帰り道。
少し声の調子を落として栄口が言った。
「…………うん」
「って、ほんとに野球の練習でだからね?また変な勘違いしないでよ?」
「わっ、わかってるよ」
いつかの勘違いして取り乱したことを言われているのだということに気付いて、は膨れて言う。
あの時は、栄口がずっと側にいることは当たり前だったから。だから、拒絶されたようで哀しかった。
いつも隣に居れば何でも解決するなんて、幻想でしかないのに。
「わかってる。ちゃんと今は、わかってるよ。勇人」
好きだということ。好かれているということ。
その人のために何かしたいと思う気持ち。何が出来るかわからなくて、途方もないように感じてしまう気持ち。
けれど、が言葉を紡いで、歩み寄って分かり合って、その時零れる栄口の笑みがあれば、全てが吹き飛ぶような幸せを感じる。

「ちょっと勘違いしただけで取り乱した私が言うのは信じられないかもしれないんだけど」

聞いて欲しい、と、は栄口の手をくいと引き立ち止まった。
雲が流れる。茜色に染まった空を見て、一日が大半を過ぎたことを知る。夜になるのは、きっとあっという間だ。

「これからも一緒に居たいって、思うよ。勇人がどれだけ忙しくても、私のことを構えなくなっても、それでも待っていたいと思うよ」

寂しく思うときもあって、不安になるときもあって、それでも心に彼を住まわすことを止めることは出来ない。
これから先どうなるかはわからないけれど、少なくとも今は彼の存在が大きく胸を占める。
そして、永劫そうであってほしいと祈る。

「いいんだよ。会える時間が減ったことを、負い目に思わないで。……あのね、たった」

強がりではなく、うわべばかりの虚勢ではなく。
自分を思って、相手を想って、そう願えるのは、自分が少しは成長したからだろうか。
もしそうなら、わずかに心が軽くなる。

「たった一時間の休みでも、私はあなたと居れるだけで幸せになれる」




「ふっ、あははははは!」
「ゆっ、勇人?」
突然お腹を抱えて笑い出した栄口に、は困惑すると同時に怒りを覚えた。
こちらがあれほど考えて重荷にはなりたくないと思っていたのに。
明らかに機嫌を悪くしたに気付き、栄口は慌てて笑いを引っ込めた。
「ゴメン、ゴメンって。を笑ったわけじゃなくて」
「じゃあ、何よ。酷いよ、いきなり笑って」
膨れたに、困ったように笑うと、栄口はの髪をくしゃりと撫ぜた。
落ち着いた声が降って来る。こんなときにも感じるのだ、やはり自分はこの人を――――

「好きだなぁ、と思って。のこと。ありがと……オレも、幸せになれる」

笑った答えにはなっていない。
その言葉は嬉しくて、顔は真っ赤になってしまったけれど催促するようには栄口を見つめた。
しばらく躊躇した後、観念したようになにかごそごそと探る栄口に、は口を開きかけた。「何を――

「オレの方がよっぽど女々しかったなって思って。そしたら可笑しくなった。全部オレの都合でなのにな。何をあせってんだか」
「勇人?」

ふわりと左手を取られ、小指にはめられる光るものは。

「ピンキーリング……っていうんだっけ。どうしても、何かをにあげたくて」

唖然として、指にぴったりとはまった指輪をは見た。
シンプルで余計な装飾がされていないそれは、に良くあった。

「すんごい安物なんだけどさ。……オレが自分で働くようになったら、絶対また買う、本物。だから、それまで」
「ど…して?」

なんとかそれだけの問いを口にしたは、まだ驚きと、それ以上の嬉しさでまわらない頭を感じた。
何も望まないと決心した。それなのに贈り物一つで舞い上がってしまう自分は、けれど仕方ない。

「いや、ちょっと……。野球部の奴らに、言われて」
「何を?」
「ほったらかしにしてていいのか、とか。そんなんじゃ横から掻っ攫われるぞ、とか。むしろ彼女の方の気が変わるんじゃ、とか」
「そんなことないよ!」
「うん、わかってる。オレもわかってるよ」

今までになく強い口調で言い切ったに、栄口は一瞬だけ驚いたあと、ことさらに優しい笑みを浮かべた。
もう一度の手を取って、自分がはめた指輪を見る。

「それでも、少しでも揺らいだ自分が信じられなかった。コレをプレゼントすることで、の気持ちを引き止めたかったとか、そんなんじゃないんだ。でも、あげたかった」

湧き上がるこの感情に名前をつけるならば、これこそを愛しさというのだろう。

「勇人。嬉しい、ありがとう」

そして言った側に、あることに気付く。
「勇人、もしかして、お金ないって言ってたのって」
「…………やっぱり気付いたか。うん、まあ、コレ買ったからなんだけど……」

別によかったのに、というのは簡単だ。
しかしは指輪を貰って嬉しく、栄口がに贈りたいと思ってくれたのなら、そんな言葉は意味を為さない。

言いたいことは、体に秘められないほどの感謝と、それから好きなのだという気持ち。

「ありがとう」

伝える術が見つからない。どうしたって、言い切ってしまうことができない。もどかしさが募る。でも。
「うん、……オレのくだらない見栄受け取ってくれて、オレもありがと」
「それ以上の意味を持つよ。私にとっては」
少しずつ、小分けでいいから伝えたい。溢れ出て止まらないもの。




「学校につけて行ってもらっても良い?
「もちろんだけど、失くさないかな」
「失くしたらそのときはそのときだから、付けて」
「……うん」
(よし。これで狙うやつも減る……はず)

新しく増えた思い出に誓う。
繋いだ手は離さない。



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企画参加、ありがとうございました美月さん!