緊張、これは緊張なのか。
目の前に並べられた料理を前に、何か言おうと口を動かすもののまったく言葉が発されることはない。
誰かと過ごすということ。
久しぶりで、その感じを何と言えば良いのか。
懐かしい?いや、それよりも。
あまりに雰囲気に心引かれて。
そうだ、これは。
どこまでも柔らかく、じんわりと染み渡り。
灯す 02
「いっぱいあるのよ、食べてね!!」
「あっ、の」
「うん?おかわり?あるわよぅ」
「いや、違ぇーだろ」
まだに出された皿の料理は減っていない。
それなのにさらに継ぎ足そうとする自分の母親を押し止めつつ、花井はがつがつと食事を腹へとおさめる。
視線をへと向け、手を付けようとはしない彼女へと尋ねた。
「何か嫌いなモンとかあんの?」
「えっ?ううん、そうじゃなくて。あの、いいんですか?こんないきなり」
「あら、いいわよ。今日旦那が急にご飯いらないって連絡してきてねぇ?むしろ助かるわよう」
あはは、と手を振り笑い飛ばすきく江(花井の母親だ)に、は少し落ち着き迷惑がられてはいないようだと安心して手を付け出した。
「いただきます」
「どうぞ!」
それにしても。
箸を動かしながら、何ゆえこのような展開になったのかとは内心首を捻った。
元はといえば食材を切らした自分が悪いのだけれど。そして、のこのこと着いて来た自分が原因なのだろうけれど。
「ちゃん、口にあうかしら?」
「あ、はい!すごく美味しいです。久しぶりに、こんな美味しいもの食べました……」
「あらやだわぁ、上手ねぇ」
「いえ、本当に。美味しいです」
本心からの言葉だ。その前に、におべっかを使う技術などあるはずがない。
微笑みながら言ったに機嫌よくなったきく江は、何かあれば遠慮なく言ってくれと台所へと下がって行った。
恐縮ものだ。非常識な時間にいきなり押しかけ晩飯を食べさせてくれ、など。
笑顔で迎え入れてくれ、何故か歓迎までしてくれてさえいるきく江には不思議に思いながらも心の底から感謝していた。
というか、久しぶりにまともな食事を取っている。
どうしても一人では味気なく時間がかからないものばかりを作っているためだ。自分以外に誰も食べないならば手抜きになるのも仕方ないと思っているが。
「花井君……あの」
「あの人、人を家に上げんの大好きな性格だからは全く気にしなくていいぞ。つか、引っ張って来たの俺だしな」
それでも、拒否せずに着いて来たのはだ。
でも、迷惑がられていないので安心した。
全部食べて、もう一度美味しかったと言って、片づけを手伝っておいとましよう。
ご飯を食べさせてもらって、居座ることは出来ないから。
もう二杯目に突入している花井の食欲に驚きながらも、はしごく美味しそうに箸を口へと運んだ。
「ごちそうさまでした。いきなり、こんな遅くに突然来て、ほんとにすみませんでした」
「やぁねぇ、いいのよ。困ったときはお互い様。それに、そんな年でコンビニ食なんて駄目よ!!ちゃんと食事は取らなきゃ。まだまだ成長期なんだから」
「あはは、おっしゃる通りなんですが……」
きく江の隣に並び、皿洗いを手伝いながらは苦笑した。
もっともな言葉だ。言い返すせる言葉は一つもない。
「それにしても悪いわねぇ。後片付け手伝ってまでもらっちゃって」
「当然のことです。いえ、これくらいしか出来ないですから、やらせてください」
「……いい子ねぇ」
細められた目に、心臓が高鳴った。
懐かしさがこみ上げる。かつて、にも確かにあった、確かに存在した暖かな存在。
「そんなこと、ないですよ」
置いてきたもの。望みやしないと、強がってきたけど。
そうだ、気付いているではないか。ただの強がりなのだと。花井が言った、“心細い”という言葉。まさに、その通りだ。
「ちょっと梓ぁー!!アンタちゃんだけに手伝いやらせて何やってんのよ!!」
「うっせーな、名前で呼ぶなっつってんだろ!!宿題だよ。明日提出なんだよ。に写させなきゃなんねーだろ!!?だから先にやってんだ」
「あ、宿題!!」
予想外のことがありすぎて完全に頭から飛んでいたその存在に、は切羽詰ったような声を出した。
テストの点に自信がないのならば、せめて平常点は取っておきたい。
そのために必要なのは、提出点。
「泣きそうな声出してんなよ。写させてやるっつってんだろ」
「でも、花井君」
「今回はしゃーねーだろ。いっつもちゃんとやってんだから、今回のも暇みてまたやりゃあいいよ」
「うん……ありがと」
いってらっしゃい、と言われもうほとんど残ってはいなかったが皿を数枚残したままはそこを離れる。
きく江に礼を言いつつ、は花井の前に座った。
手を動かす花井を覗き見る。課題は英語だ。すらすらと止まることの無い花井に、は感嘆の溜息をついた。さすがだ。
「こっちはできてっから」
プリントを受け取り書き写す作業を大急ぎでやる。
良心が痛まないこともないが、背に腹は変えられない。ずるしてすみません、と誰にとも無くは内心謝った。
「お……終わった……」
「ん。お疲れさん」
「花井君こそ。ありがとうございます」
深々と頭を下げる仕草をしたに、いいって、と花井は軽く笑う。
ふと時計を見ると、当たり前だがもう随分な時間になっていた。
「あ、早く帰らなきゃ」
非常識に居座るわけにはいかない。たとえどんなに居心地が良いとしてもだ。は本来ここにいるはずではないから。
「きく江さん……に、ご挨拶を」
「帰してくれないと思うぞ、多分」
「え?」
ぼそりと、思わずというふうに呟かれた言葉に、意味を理解できず聞き返すと花井はこれ以上ないほどに苦く、笑ったような、もうどうしようもない表情でもう一度口を開いた。
「帰してくれないと思うぞ。あの人のことだから」
抜群のタイミングでそして聞こえてきた声に、は今度こそ固まった。
反応が取れなかったのだ。どうすれば最適な選択となるのか。
「ちゃーん、梓と、どっちからお風呂入るか決めなさーい」
これだけは断固として言っておきたいのだが。
はしばらく固唾を飲み込み先ほどの声が自らの幻聴でないことを確かめた。
確かめた後、は呆然とした面持ちで言う。
「花井君、此処までお世話になるはずじゃぁなかったんですけど」
「……まぁ、そうだろうとは思ってた」
困惑したようにうろたえるに、さもありなんと花井は様子を窺っていた。
今更ながらに、此処までするのはやりすぎだったかということが頭を過ぎる。
一緒にファミレスで食事に付き合えば……、いや、それは危険だ。そもそもあの母親が承知しまい。
を家に入れるということは必然的にこの母親を見せるということだ。
気付いたときはしまったとも思ったが、仕方ない。
『夜コンビニで食べるとかいう奴が居るんだけど、メシ余ってる?つか、女なんだけど』
要約すればこんな感じの電話で二つ返事で了承した自分の母親はお節介も甚だしい。それを言うのなら自分もであるものの。
決断が要ったのは確かだ。コレでが男だったなら要らなかった決断が。
しかし、そんなこと言っていられるわけもなく。無理やりともいえるように連れて来た事を、きく江のへの気に入りっぷりに若干驚いたものの、後悔はしていない。
(ほっとけないんだよなぁ……。俺は何でこんな気にしてんだァ?)
こうなることは十分に予想していたので、花井はほど戸惑いはしなかった。
いきなりに何故か泊まるようになっていたことに傍目からわかるほどあたふたとしていたを、花井は頬杖を付きながら眺めていた。
あの母親のことだから、今から帰るなんて危険!!などと考えているのだろう。一人で暮らしていること、親がいないこと、先ほど話していたのでなおさらだ。
そのことに反対はしない。
「嫌じゃなかったら泊まってけば?此処までくりゃぁもうどうでもいいだろ。つか、あの人帰さないと思うし」
溜息と共に立ち上がり花井はを押し出した。
明日の授業の用意は、この家からのアパートに寄ればいい。
そんなことを考えていて、ふと気付く。もう花井にもを送り返す気はないということ。諦めているだけかもしれないが。
「……か、重ね重ね……本当に」
「あぁ、まァ。別にいいって」
どちらかと言えば、無理に押し付けたともいえるから。
には、押しが強すぎるくらいの方が良いのかもしれない。
そういう意味ではきく江と波長が合うというのか。
「梓ぁ!!?」
「聞こえてるって!!うるせーよ!!」
しかし花井自身も冷静に見えて。
「……花井君も、家ではちょっと違うんだねぇ」
「あ?」
大きな声が苦手らしいの前にも関わらず出した素という部分や“梓”と呼ばれても言い返さなかった辺りからして、十分に狼狽していたようである。