この身体の内にあるのは、果たして。



灯す 04



「っ……」
「おい……大丈夫か?」
「……だっ」
大丈夫、と口を開けたが。漏れるのは声ではなく息で、これでは通じまいとは片手を上げた。しかし 伝わったのは逆の意味にで、というよりも心配ないからという花井へのの主張はしっかりと伝わっていた ものの、息は切れているは膝は震えているはで明らかに大丈夫ではない。
「ゆっくり息整えろよ?それにしてもお前……」
みなまで言ってくれないで。
の願いが通じたのか花井がそれ以上言葉を続けることはなかったが、何を思っていたのかなど簡単に 想像がつく。
「ほら」

差し出された手にありがたくすがって、は上体を起こした。
間に合った。 と、花井とは同時にほぅ、と安堵の息を吐く。 集団で動くからには和というものは大切で、その上に花井はキャプテンだ。集合時間も遅れることを、他の誰が 許しても彼が自分を許しはしない、きっと。
「もう、大丈夫ですよ。ありがとう」


もう一度だけ大きく息を吸って、吐く。適度に運動もしているはずなのだけれど、やはり花井から見ると それは運動とは呼べない代物なのか。幾分かうんざりとした気分に陥りながら、はゆっくりと花井の手 に重ねていた自分の手を引いた。

「ん?……うわっ」
「え?」

突然まるで振り払うかのように花井も手を引く。もうその時にはの手は花井の中にはなかったから、動作に というよりはその声に驚いた。 見ると悪い風邪にでもかかったかのように花井の顔は赤く。眉は下がっている。
どうしたの、と訊ねる直前に、どこか刺々しくも聞こえが二人の鼓膜を震わせて、は素直に振り向き 花井は耐えられないといった様子で背を向けた。 何が起こったのか、いまいち把握ができていないのだけれど、ともかく挨拶が先だろう。

「よ、。んで、は・な・い?」
「二人ともおはよー。……泉、含みある声だすなって。気持ちはわかるけど。あと、花井さ、俺に 言われたくなんかないだろうけどあからさますぎるよ……」
「栄口の言うとおりだ花井。アレはねーよアレは」
「だよなぁ」

首をかしげるしかないに、しかし花井は全てを理解していたようで、うるせーよと憎々しげに悪態をついた。声には元気がごっそりと抜け落ちている。 顔は背けられているので、彼の顔がまだ赤いのかはいまいち判断がつかなかった。花井は背が高い。いつだって見上げて目を合わせなくてはならないから、 そんな彼に逆を向かれるとには今どんな表情なのか確かめる術はないのだ。

「花井君……?」
「触れてやるなよー。たぶん過去のいたたまれないことも同時に思い出してるんじゃねぇの?むっつりはこれだからな」
「泉!!頼むからお前もう黙れ!!」









はたして自分はこんなだったか、と花井は思う。
もはや恐ろしいほどだ。彼女が隣にいることが当たり前になり、彼女に触れることさえ何の躊躇いもなくなっている。

(あいつが嫌がってる素振り見せないのが唯一の救い、か?)

先ほど花井はごく自然に手を差し伸べた。そしてあろうことかしばらく握っていたわけだけれども。何度もあの体温に触れたことはあるが、やはりいつでもあの 手は頼りなく小さくて花井はいつも心配になる。

(つかんなことどうでもいい!!あいつも当然って顔してっから!!)

そう、そもそも。
(何か、おかしい)

花井にはもともと世話焼きの気性はあり、妹が二人もいるため、年下のようにどこか頼りない彼女の面倒を見ることも全く苦痛ではなかった。むしろやぶさか ではなかったのだが。
構いすぎている。どう考えてみても。
初めて意識した、のかもしれない。だって、彼女は逃げなかった。そのことに気付いて、途方もなく安堵している自分がここに居る。同時に湧き上がる嬉しさを、 どう言葉にすれば良いのだろう。

「うっわ……」

たまらずしゃがみこんだ花井に追い打ちをかけたのは、呆れたような面白がっているような、そんな声だった。

「お前さ、あんま首突っ込むつもりもなかったんだけど、もうちょっと考えたほうがいいぞ」
「もう手遅れかもなー。……俺同じクラスじゃないからあんま知んないけど花井、教室でもあんな感じなんでしょ?」

が監督に呼ばれ走り去ったあと、花井が自分の頭の中で完全とはいかないまでもある程度の結論を下すまで親切に待っていてくれた二人は、しかし容赦が なかった。

「なぁ。……もしかしなくても俺。嘘だろ?」

いつから? 全てを抱え込む性質のある彼女に苛立ちにも似た切望を感じるようになったのは、いつからだ? 知りたいなどと、同じクラスで、同じ部活というだけの繋がりでしかないのに、彼女を惑わすしがらみを知りたいなどと馬鹿げたことを願ったのは。 「お前がそう思うなら、そうなんじゃねえの?」 「……しらばっくれるのも選択の一つだと思うよ。最善かどうかはわかんないけどね」 「優しくねーな」

思わず拗ねたような声が出て、それを花井は恥じた。二人がどうこうの問題ではないのに。最もわかりやすく、これは花井だけが(そしてもしくはと二人で) 考えなければならないことだった。
気恥ずかしさとはまた別に顔を赤くした花井に、泉と栄口はくすりと笑う。それには許容が少なからず混じっていて、続くセリフもうって変わって花井を励ます。

「花井のそういうとこ、すごいと思うよ?自分がやんなきゃいけないことを素直に認めること。変わったよね」
「そだな」

高校入学当時は、プライドだけが高かった、と今では花井も自分で客観的に判断できるようになった。あの頃を思い出すと、恥ずかしさで死ねるとも思える けれど(同時にあの監督を知らなかった自分逃げろ!とも)。
向き合うことが怖かった。真剣になることは、それで食っていく覚悟もないくせ馬鹿らしい気がして。
所詮、部活だろう?
一生懸命なんてそんなこと、格好悪い気がして。

『頑張る人のとなりにいれることほど、嬉しいことはないんですよ?頑張るって、とっても疲れることだと思うの。それをしている皆は、……花井君は』

別に野球じゃなくても、なんて嘯いていた自分を、もしも過去にさかのぼれるのならば殴りたい。どれほど大切なものだったのか、失う前に気づけて本当に 良かった。ちっぽけな意地を、こてんぱんに伸してくれた監督に感謝する。こうして練習にまみれる毎日は驚くべきほど心地よく日常で、もうこれ以外は 考えられない。

『大好きなんだね』

そう。好きだ。好きだよ。


そして、彼女のことも。
空は青く、雲ひとつない。ありふれた表現だけれど、それしか言えない。
たぶん、簡単なことなのだ、と花井は思う。花井のこの空に似合わない混沌とした気持ちは、他人からすれば一蹴されるような。
花井の中に芽生えつつあるこの内にある想いは、このままでは育つ。それだけは何故かはっきりと確信できた。
それを摘み取るも無視するも枯らすも刈り取るも――――そして認め慈しむも花井の自由で意思のままだ。泉が切り捨てるように。栄口がたしなめるように。

俺は。それから、――――お前は。
どうする?どうすれば良い?

この思い通りにならない持て余す何か、を。
どうすれば良い?