此処に来て生活に困らないほどの日用品は、アパート206号室に既にあった。
着の身のまま飛ばされたとき、持っていたのは学生鞄一つ。
問題は、鞄の中身の一品。
「なーー、携帯持ってるー?」
コレだ。



響く 04



「持ってはいるんだけどね」
通じはするのか。確かめたことがないのでわからないのだ。
微妙な言い回しに図らずもなってしまったが、今に話しかけたのは田島のため、気にした様子は微塵も見られなかった。
「アドレス教えてよ!!」
「うん、もちろん!あのね、でも私の携帯ちょっと使えるかわからなくて……。教えるから、届くかどうかメール送ってくれる?」
「おお!!」
自分でも思うのだが、携帯が使えるかわからないとはどういうことだ。 そのことは事実なのだが、上手く説明出来ない。電源は入れられるが、友人(もとの住んでいたところの、とする)にはメールも電話も出来なかった。
通信手段があるのに伝うことができないのは初め、不安に煽られるをひどく心細くさせた。
取り残された、とは少し違うか。世界から切り離されたことを指し示す証拠であったから。
(新しく買った方が良いんだろうなぁ)
実は、田島にアドレスを教えたものの期待はしていない。にもかかわらずなのは、もしかしてここの人たちになら、という気が僅かにあったからである。
「……あれ」
携帯が振るえ、は驚きを隠せずに画面を見つめた。
そこには新着メールを知らせる印が。
「届いたみたいだな!それ、オレのアドレス!!電話番号も打っといたぜぇ」
「う、うん、ありがとう」
頭の後ろで手を組みにししと笑う田島の言葉に、早速登録にかかる。
それにしても、本当には“コチラ”に存在しているのだとはっきりした。
それでも、覚悟していたことだ。自分は此処で生きていくと、流され与えられた定めであったが、決めた。
思ったよりも動じなかったのは、毎日が楽しいからだろう。
人が優しいから。考えている以上に、今まで感じてきた以上に。
此処が暖かいから。好きだから。
10年以上暮らしていた街に愛着心がないことが薄情だと自分でも思う。
けれど、今目を瞑り一番に思えるのは。
私を嬉しくさせて、笑顔を引き出してくれるのは。

、オレも後でおせーてー」
「あ、良ければ俺もー」
何人かの部員から声がかかり、はもちろんと頷いた。
使えるならば、後で千代にもアドレスを聞いておこう。
はもう一度携帯を開いた。
全員に教えるのも時間がかかるだろ、と田島がが何か言う前にメールで送ってくれたので、後は彼らからのメールを待ち登録をするだけだ。
何か嬉しい気持ちになる。アドレス帳に増えるからだけではなく、実際に彼らと繋がることが嬉しいから。
「……そういや俺の知らねぇ……」
「ホントだ……、私も花井君の知らないや」
今気付いたかのように小さく呟いた花井に、も思いがけないことのように目を丸くした。
気付かなかった。の携帯は使用できるかどうかわからなかったから絶対に花井にも教えてはいなかったのだけれどこんな基本的な情報などお互いとっくに知っているような感じで。
「盲点だったな」
登校が一緒で、同じクラスのため授業中は一緒で、放課後部活が一緒で、そして帰りもそうだ。
メールや電話など、これだけ共にいるなら使うはずもなかった。そもそもも花井も携帯を多用する性質ではない。
顔を見合わせ、おそらく同じことを思っていた気がして、かすかに笑い合った。
「仲良いよなーお前ら」
何気なく放たれた田島の一言にはそうかなと首を傾げ、花井は馬鹿なことを言うなを軽く田島を叩く。
「お世話になってるのは、確かだけど」
「何回も道教えてんのは確かだけど」
それは確かにそうなのだけれど。
明らかに初めに迷子になっていたことをからかわれている気がして、は膨れた。
きっといつまでも言われ続けるのだろうな、とは思う。助けてくれた恩人相手ではやむを得ないというものだが。
「そうなんですけど。もう覚えました……よ」
さすがに。同じ道ならばなんとか。
「自信なさ気?」
「あります」

相手には意地が悪くなりそうな気がしないでもない彼と、その彼と共に白球を追いかけ輝く、彼ら。
大切な、間違いなく連なり結ばれたそんな存在。



「…………消去、と」
たとえ薄くとも、知り合った人たちを消すのは、勇気がいることで。
もしも戻ることになったら?そう考えて気付くのは、自分がそれを切実に望んでいないこと。
「何してんだ?」
「わっ、花井君!!」
その必要はないのだが、は携帯を慌てて伏せた。
「あ、悪ィ」
「ごめんなさい。別に見られてもいいんだけど。……前の知り合いの……アドレスを、ね」
消してるの、という語尾は小さく掠れた。
きちんと聞き取った花井は、のその言葉を理解出来ず顔を顰める。どうしてそんな必要があるのか。
「何で?」
「……けじめ、決心かな。私は揺らぐから」
今はそんなことないけれど、もしこちらが嫌になってしまったときに、自分は違う世界を知っているわけだから。
逃げたいと。逃げてしまいたいと思うであろうことは、簡単に想像出来る。
帰りたいと、ここは私の居るところではないのだと泣き叫びたくはないの。強くありたいと願う。
そのために過去の痕跡を残すことは、どうしても出来ない。
「……俺らがもし遠くに離れた時さ」
花井はの隣に腰掛け、しばらく遠くを眺めていた。
どこかを見ることを止めず、視線はに向けず、花井は話出した。静かに、何気なく、しかしの心に直接語りかけるように。
「その今消されてる奴みたいに、俺らのアドレスもは消すのか?」
「え?」
「そういうことだろ?」
言われてみて、は気付く。そういうことに、なるのだろうか。
心持ち花井の声は低く沈んでいて、そして重く響いた。
「なんか、それは、すごく嫌だと思う」
「花井君にそんなことしない」
悪かったと思う。自分達は所詮そのほどなのかと、きっとそう思わせた。
そんなことない。傷つけたこと、すごく辛い。
しかしとて、理由がある。
「私、この人たちと繋がることはないよ。二度と、ないの。花井君とは違う、花井君にそんなことしないよ」
「何で」
「私、……私は」
信じる人などいるだろうか。自分は何処か別のところからいきなり、自らの意思など関係なく飛ばされて来たのだと。
言えない。言うつもりはない。
閉じていた目を開けて、は小さく声を発した。花井を見ることが出来ない。
「弱い……から。振り返ると、どうにかなってしまいそうだから」
今は思っていない帰りたいだとかと願う気持ちが溢れ出すかもしれない。いったん溢れ出したそれを塞ぎとめることは難しい。
声が震える。自分の身体を抱きしめながら話すを、花井は何も言わずに見ていた。
どうすれば伝わる。彼を傷つけるつもりなど微塵もなかったのだと。
嫌わないで。でももう、遅いのかもしれない。
「ごめんなさい」
「お前も、本気で不器用なんだな」
呆れたような口調に、は隣にいる花井の顔を見上げた。
の恐れる嫌悪はどこにもなく、言うなれば仕方がないなと部活中もよく見かけるそんな表情。
「どーせ嫌われるとか思ってんだろ。嫌わねェよ。そんなことする理由、俺にはよくわかんなかったけどのことだから何かあんだろ?そんくらいわかるよ」
馬鹿にするな。険しい顔をしながら花井は言う。
「ごめんなさ……」
「そうじゃなくてだな」
再び伏せたの頭に、花井は軽く手を乗せた。
纏う雰囲気に剣呑なところはなく、むしろを促すように緩やか。
「言えばいいだろ。心細いって」
「こころ、ぼそい?」
思わぬ言葉にはたどたどしく繰り返す。すると花井は、今度は驚愕の表情を作るとの頭をつとめて弱く叩く。
「何だよ、気付いてねぇの?」
「何が?」
「一人暮らしなんかして、頼れる人がいなかったからあの時初対面の俺なんかに助け求めたんだろ?そりゃ誰でも心細くなる。だから、素直にそういやぁいいんだよ」
すとん、と今まで考えてぐるぐると胸の内を回っていまもやもやしたものが収まった。
頭にのせられた手の重みがを落ち着かせる。そして考えてみたならば、花井の言うことは確かにその通りで、彼が自分を嫌っていないという言葉は確実にを穏やかにした。
「本当に?」
「ん?」
「私、花井君に迷惑かけすぎるくらいにかけてるのに」
「何度もいってんだろ」
笑みが自然と零れた。なんて優しい人。
おそらく、それはだからではない。きっと、平等に分け隔てなく彼は優しさを分け与える。
そのことにも、尊びと敬いの念を。そして感謝。
彼に、自分は何が返せるだろうか。
すぐに思いつきはしないけど。待ってて、一生懸命考えるから。
「ありがとう、花井君。もう、大丈夫だよ」
たとえメモリーも消しても、微かに残っている望郷の心を完全に消え去ることは出来ない。
そんなこと必要ないのだ、と。そう言ってくれているのかな。
一歩一歩ね、進んで行こうと思うの。楽しいこと、嬉しいこと、もう十分に味わったけれど、もっともっと増やして、徐々に上に重ねていきたい。
「とりあえず、キャプテンのためにおにぎりでも作ってきます。具、何が良いですか?」
花井を見上げながら、は問いかけた。
ちょこっと内緒で、融通します。瞳にそんな意をのせ、秘密ですよと微笑みかける。
「じゃ、たらこ」
一瞬目を瞬かせた花井は、しかし人の悪い笑みを浮かべ頷いた。
「おら、手ぇ貸せ」
「ありがとう」
先に立ち上がった花井から差し出された手に、ありがたく手を重ねる。
大丈夫だよね。
たとえ私がもとの世界から切り離されているとしても、私の居場所は、此処にあったもの。
繋がった手が、私を此処に或るのだと気付かせる。



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