練習熱心野球部一同。
阿部水谷そして今日は花井まで。
ぴくりとも身動きせずこんこんと眠り続けるその様子に、はどうして良いかわからずに起こそうかと肩を叩きかけた手を翳したまま止まった。
朝からの部活を見ているためどれだけ疲れているのかは理解できる。
寝かしたままの方が親切だろうか。いや、しかし昼を食べ損なうのは駄目な気がする。
いつも二人が寝ているときに起こす役目は花井なのだ。しかしその花井が泥のように眠っている現在、役割につくのはしかいない。
「どうしたらいい……かな」
起こすべきだろうか。
そうした方がいいよね。
気持ちを定め、は三人の身体を揺さぶった。



響く 03



「てことで、起こしても良かったのかな?ごめんなさい」
「いや、そこは俺らが礼言うとこであってが謝るとこじゃないだろ……。とにかく悪い、助かった。これからも万一あれば起こしてくれ」
昼飯抜きはさすがにキツイ。ので、あのままであれば熟睡継続であったろう自分達を起こしてくれたはありがたかったのだが何故か眉を下げながら心配そうにこちらの顔色を窺うに花井はなんともいえぬ笑みを零した。
そう言うとは安心したようにふにゃりと頼りなく顔を綻ばせた。
、篠岡は?」
「屋上で、友達さんとご飯」
一緒に行こう?千代がせっかく誘ってくれたが初対面の人と気安く話せるほどは器用ではない。
断ったことを、は今更ながらに後悔していた。友達など、こちらが近寄らなければ出来るはずがないのに。
(駄目だなぁ……)
どうしても後込みしてしまう自分を変えなければと思うものの、そう上手くはいかない。
「一人?」
すでに弁当を掻き込んでいる阿部に咀嚼の間に問われ、は小さく頷いた。
そう、ここでの問題は、他に弁当を囲める知り合いはにはないことだ。
「ご一緒しても、よろしいでしょうか」
妙に丁寧になってしまいながら、は尋ねた。
肩をちぢこめるに、三人は顔を見合わせ、そしてはぁと息を吐く。
びくり、と恐る恐るという呈で顔を上げたの頭に花井は手を置く。
阿部は近くの開いている椅子を引いてき、水谷がそこをぽんぽんと叩いた。
「え……」
「許可なんていらないの、
「べっつに勝手にに座ってもなんも思わねーって」
「ほら、座れよ」
頭にあった手で、花井はを引いて強いとも言える力で椅子へと押し込んだ。
「あの、ありがとう」
そこにの存在を許してくれたことが、たまらなく喜ばしい。
は弁当の包みを開く。それをしてくれた大家の顔が思い浮かんで、さらにの顔は綻んだ。
そして、朝の花井の言葉も心に表れる。
本当だね、一人なんかじゃない。
心持ち急いでは箸を運んだ。食べるのが遅い方ではないが、目の前の三人の掻き込み具合を見ていると、ちまちまと口に運んでいる自分は確実に随分と食べ終わるのが遅れる。
「あ、の玉子焼きうまそー」
「良かったらどうぞ、水谷君。味はどうだろ……食べれないことはないと思うけど」
「マジ!!?よっしゃ、いただきまーす」
移り箸は無作法なので、一旦箸をおき弁当箱を水谷の方へと差し出す。
水谷が玉子焼きを取り、それを口に含んだのを見届けた後で、は食べることを再開した。
、コレ味付け醤油?え、美味いんだけど。何、どういう配分?」
何度か噛み飲み込み、そして水谷は興奮したようにに詰め寄った。
迫力に押されが少し後退ったその隙に、阿部の箸がの弁当箱の上を走りそのまま玉子焼きをさらっていく。
「一口」
「おい阿部、てめェ」
慌てて花井が止めるもすでに遅く、それはもう阿部の口へと消えていった。
「あ、いいよ花井君」
どうせ朝の少しの時間で作った手抜きの弁当だ。それに二切れ減ったくらいでの腹が満たされないなんてことはない。
「あ、マジで美味い」
「でしょ!!んで、醤油……?」
水谷の推測に、は軽く首をふる。
5時集合のお陰で、朝の時間などないに等しい。その中で凝ったものなど作れるはずもなく、簡単で、手早く調理できるものに限られる。
「それでも出来るけど、さじ加減面倒くさくて。そうめんのつゆ、あるでしょう?あれ適当に混ぜたら何でかうまいこと出来るんだよね」
何気なく言ったに、三人は目を丸くした。
その様子が何故かわからず、は首を傾げる。
何か、おかしなことを言ったか。自分の言葉を反芻してみるもわからない。
「うお、そんなんで出来るんだー……」
「うん。だから、ものすごく手抜きなの。そんなのでごめんね」
「いや、マジに美味いのこれ。へー、誰にでも作れる?」
重ねて聞く水谷に、は頷いた。玉子焼きを焼ける人なら誰だってできる。
母親に言ってみよ。ぼそりと呟くのが聞こえて、そこまで気に入ってくれたのかとこそばゆい気持ちになりながらは他のおかずを味わった。
「花井、欲しいんなら言わないと伝わんないぜ」
「なっ、んなこと思ってねェよ!!」
こそこそと囁き合っている花井と阿部に、は首をこてんと傾ける。
にやにや、と水谷の顔がみるみる内に人をからかうときのようなソレに変わっていき、花井の顔はこの上なく嫌そうに歪められる。
、花井も欲しいってー」
「水谷ィ!!」
「え?」
満面の笑みの水谷と、邪悪ともいえる風に笑っている阿部と。
笑顔にもこんなに差があるものか。それぞれの性格によるものが大きいと思うけれど、それにしても。
「……花井君?」
こんなものくらいいくらでも構わないが、本当にいるのか。
水谷がもし勝手に言っていることなら、差し出すのも迷惑だろうか。
いろいろとぐちゃぐちゃ考えてしまうのはの癖のようなものであったが、花井にはそれが拒んでいるように見えたらしい。
「いやっ、気にすんな!!すまん、何でもねェよ!!」
声が裏返ったように感じるのは、きっとの気のせいではない。
すぐに行動に移せないから、煮え切らない態度を取ってしまうから、誤解されてしまうのだ。
違う。拒んでいるはずがない。
「大したものじゃないけど、えっと、どうぞ?」
人に嫌われたくなくて、何か変な態度を取りたくなくて結局何も出来ずに終わってしまう。
単純に、ただ自分の中でぐるぐると考え、それで仕舞い。仕方ないと思っていたけど。性格など簡単に変わるものではないと。
でも、あなたに誤解させるのが一番嫌だよ。
「あと一つだけど、いいのか?」
「うん、いつでも作れるもの」
花井は、遠慮がちに箸を伸ばした。
そうしてくれたことにほっとし、そして次は反応を窺う。
「…………うわ、本気でウマイ」
数回咀嚼した後飲み込んだ花井は、低く唸るようにして呟いた。
「良かった」
は全身全霊で安堵する。
誰かに食べてもらうのは光栄だが、返ってくる態度はものすごく恐ろしいものだ。まして今差し出したのは片手間に作ったおかずなのだから。
「だからそう言ってんじゃんよー。あ、ごちそーさん。あんがとー」
「お粗末さまです」
以外の三人は弁当箱を片付け始めており、も何度か箸を往復させ食べ終わる。
ナプキンで包みきゅ、と布の両端を結ぶ。床の足元に置いておいた鞄の中へそれを屈みながらおざなりに放り込む。
顔を上げると、そこには水谷の興味深げ視線があった。
「なぁに?」
「つか、って自分で作ってんの?すげえな」
は素直にこくんと首を振った。
自分で作らなければ誰が作る。
「とりたてて言うことでもないよ。私、一人暮らしだからおのずと、ね」
「一人暮らし!?」
顔の前で手を振ったに大袈裟にともとれる風に声を上げたのは水谷だったが、阿部も同様に驚いたような表情だった。
それはまあ、確かに稀かもしれない。
まだ未成年であるし、しかも女であるから。だが、これはほぼ強制的に与えられた生活だ。
しかしそこにの意思はなかったものの、不満はない。
「うん。色々と……あって」
本当に、様々なことが。
どう表現すれば良いのかわからず、自然と困ったような顔になる。
何と言おう。いきなり知らない街へ飛ばされてきましたとはまさか言えまい。
「俺らにはまだ良いと思うんだけど。あんま広めない方が良いぞ、そのこと」
さらりと、ごく自然に話題がすりかえられた。
言いにくそうなに気付いたのか、花井がさり気無く言う。
二人に気付かれないように、花井の配慮に対しては目だけで礼を言った。
花井は気にするなと小さく首を動かす。
「何でよ」
「アブねーからだろ?女の一人暮らし」
「ああ。どっから広まるかわかんねェし」
水谷が尋ねた言葉に阿部と花井が答える。
心配してくれるのはとても嬉しいが、肝心のをよそに続いていく会話が何かくすぐったい。
「そんな、大丈夫だよ」
話が大きくなっているように思えて、は苦笑気味に笑った。
「いつも気にしてなんていなくていいけどさ、油断はすんなよ」
何があるかわかんねーし。
しごく真面目に説教をされ、は無意識に無言で頷いた。
有無を言わせぬ迫力とでもいうのか。返事をしないといけないような気にさせる。
「ああ、もしかして花井知ってたのか?だから気つかってたんだ」
「あ?ああ、うんまあ」
知ろうとして知ったわけではないが。
しかし、知っているならば気をつけなければ。それは自分の性で、もうどうしようもない。
面倒見がよすぎる、と言われることはしばしばだが花井にとってはそれが普通なのだ。
「家も近いしなァ」
自分でも驚くほど煩わしいとは思っていないのが、実に不思議なのだが。
「なんか、お世話になりっぱなしで」
「だからいいんだけどさ」
その原因は少しずつ分かり始めている。
必要以上に恐縮そうな顔をはするから。心から悪いと、それと感謝していますという気持ちはこちらにひしひしと伝わるから。
わざとしているならこれ以上恐ろしいこともないがそれはないだろう。何ゆえ、だ。
これでもしもが小悪魔的に花井に面倒をみさせるよう操っているのだとしたら花井は確実に女性恐怖症になること請け合いだ。そうでないと信じたい。
今も竦んだように小さくなるを見ると、儚げというか頼りないというかふわふわとしたそういうイメージが常につきまとい守らなければというある意味妙な義務感にかられるのだ。

ちゃんっ!!ただいまぁごめんね一人にしてっこれからはずっと一緒にいるよぉっ!!」
「ひゃっ」

がばっと、気配なく後ろから抱きしめられたは文字通り飛び上がり情けない声を出しこれ以上ないほどに肩をふるわせる。
「ち、千代ちゃぁん」
「びびりすぎだろ、
三人には千代の姿は最初から見えていたので、予想以上に驚いたに乾いた苦笑を零した。
足音を消しそろそろと近づく千代を教えてやらなかったのは所謂悪戯心だ。
「えへへ、成功」
みごとに思惑通りの反応をとったに、千代は気を良くした様に機嫌よく笑う。
千代の笑顔はほっとする。笑みが移るとは、少なくともには本当だ。
もはにかむように笑った。
「ほんとにごめんね」
「ううん、千代ちゃんがせっかく誘ってくれたのに、こっちこそごめんね?それに、一人じゃなかったよ」
一緒にいてくれる人たちがいたから。

「花井君、阿部君、水谷君、ほんとにありがとう」

そのまま千代と連れたち教室を出て行ったを、残された男達はぽかんと見送った。
「あーもー、だから……」
ありがとうってなんだよ。言われるたび、もう何度思ったか数え知れない胸のうちの呟きを花井は項垂れて口に出した。
面と向かって礼を言われるのは、悪い気はしないが途方もなく恥ずかしい気持ちになるのだ。
と会ってからもう何度こんな気持ちになっただろうか。
そして、そう思ったのは何も見る限り花井だけではないようだった。
俺の状態がわかったかお前らと、今無性に叫びたい。
「田島と三橋属性だそうだぞ。泉に言わせると」
わかるようなわからないような。花井には曖昧だが、「あぁナルホド」と阿部は納得したように呟いた。
なんというか、ひどく疲れたというか。人の好意を真正面から受け止められるほどそういうことに慣れていない。
「わかんの?」
「田島っつーのはイマイチだけど。あれだ、三橋のは、『いい人』攻撃らへんさしてんのかなーと」
「ああ!」
大体栄口あたりがその標的であるが、キラキラと言う眼差しで見つめる三橋を思い描き、それは見事にと一致した。
「……三橋と田島って……最強じゃね?」
ぽつりと思わず零した水谷に阿部と花井は深く頷いた。
まったくその通りなのだ。



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