独りじゃないよ。もう分かってる。
それでも直視が出来ないのは、羨む心が残っているから。
人が歩んできた道の上で感じてきたことなんて、本人にしか理解出来ないことくらい、誰だって知っている。
それが分かっていて、そうでいて理解しようともがくことは。
強さに他ならないのだと、そう思う。
灯す 01
「お疲れ様です」
「サンキュっ!!」
タオルと飲み物を差し出し、そして笑顔と共に引き取られる。
実際やってみて感じたことだが、マネージャーの仕事は大変の一言に尽きる。
何も、部員達にタオルや飲み物を配るだけが仕事ではない。
ボールの管理、水撒き、スコア付け、……それと草刈りだ。
部員達が、気持ちよく練習を積めるようにと心を配ること。それがマネージャーのいる意味だと思う。
と千代は、全員にタオルを渡し終えると少しの休憩を入れた。
全力でボールを追いかけている彼らに比べることはできないが、それにしたって朝から晩まで共に練習に参加しているのだから疲れだってする。
「はい、千代ちゃん」
「ありがと」
は水を入れたマグカップを千代に手渡し、隣に座り一息ついた。
見上げる空には星が瞬く。夕暮れになるともう一瞬で夜へと変わる。
「お疲れ様ね、ちゃん」
「もうだいぶ慣れたけどね」
身体のリズムが出来てきたのか、朝も夜も、そんなに辛くは思わない。慣れって恐ろしいな、と冗談めかしてと千代は笑いあった。
監督が練習の終了を告げるのを聞き、たちは片付けにかかる。
全力で頑張る毎日は、驚くほどに気持ちよさをに与える。
「マネージャーになってよかったなぁ」
「うん、私もだよ」
部員の飲んだコップを積み重ねながら、と千代は顔を見合わせてクスリと微笑む。
思うことは一緒。
「着替えてこよっかぁ」
「うん」
千代は野球が好きで、も好きになっていって。
少しでも関わることが出来るのが嬉しいということ。
「じゃーなー」
「おー、また明日ー」
へろへろにも見えないことはないが、それでも自転車をこいで行く彼らにもさよならを言う。
「ばいばい」
「もお疲れさーん」
今が待っているのは花井だ。
夜道は危険、というか、歩きで帰るのは危ないということで毎日花井の世話になっている。
いちいち恐縮するのは、逆に迷惑なことだと知ったから、当たり前だとは思わずにありがたく親切を受け取ろう。
「、ごめん、待たせた」
「ううん、そんなことないよ」
しばらくして現れた花井と共に校門を出る。
授業のこと、休み時間のこと、部活のこと、野球のこと。様々な話題で話をしながら花井とは帰り道を辿る。
そういえば、と花井はを見下ろしながら口を開いた。
「いくらでも、もう道は覚えたよなァ」
からかうような声色満載に、はわざとむっとした表情を作る。
「当たり前です」
「だよな」
その後堪えきれずに顔を緩め、「この道だけですけど」と付け加えると、花井も笑いを誘われたように声を上げた。
自分にしては、感嘆すべきほどに彼と打ち解けているとは思う。
それは多分、通常では起こらないような出会い方と彼のの人見知りをわかった上での接し方のお陰である。
同性であっても緊張を隠せない己が異性である花井とこんなにも気安く話せているというのは、時折振り返ってみれば驚愕を隠せない。
相手を気にしすぎるが、気を悪くするかもしれない冗談など言えるような相手に、いつの間に彼はなったのだろう。
考えれば、何かきっかけがあったわけでもなく、毎日一歩ずつ、それこそゆっくりとしたペースで近づいていた。彼が居ることは、当たり前になるほどに。
「も、帰ったら十時くらいにはなるよな。予習とかやってんのか?」
「最低限はやってますよ。お風呂入れてご飯作って、それからだから頭回ってないんですけどね」
苦笑して後で見返すと穴だらけなんだ、と答えるに、花井は違うところが引っ掛かった。
自分には当たり前に親がいて、晩飯も風呂も用意がされている。疲れたと言いながら玄関をくぐれば、暖かいそれは何をせずとも待っている。
しかし、は。
こんなに体力の限界まで部活を頑張っているのだ、ということを理由に当たり前のように享受しているそれらに唐突に気付かされて、花井は知らず甘えていた自分を恥じた。
たとえ親を煩わしく感じようと、嫌煙したくなろうと、世話をかけていることは事実で、花井が疎く思う権利などないのだ。
わかったなら、彼はそれを拒むことはない。認めるまではいくら長かろうと、認められぬほど子供な性格はしていない。
「花井君?どうかした?」
「いや、なんでもねぇ」
少しの間黙り込んだ花井に、は気遣わしげな視線を投げかける。
表情を敏感に捉えるのは、のいつものことだった。微かな機微にも反応する。それは便利で、そして疲れるときもある。
けれど、必要なものだった。
花井の顔に何かあるようには思えず、は安心してふわりと微笑む。
笑顔が人に安心を与えるものであることを知っている。
「……あ!!」
「どうした?」
「どうしよう!わ、忘れてた花井君!!」
「落ち着けって。どうした?」
どうやら、彼女は予想外の出来事にはめっぽう弱いらしい。いつも堅実な道を歩んでいるのだから仕方ないとも思えるが。
突如半ば狂乱したように慌てだしたを、花井は驚きながらも手を取り落ち着かせる。
「冷蔵庫空だったんだ!!まだ開いてるお店ってこの辺りにありました!!?」
「……は?」
思いもよらなかったの生活が垣間見れて、花井は間の抜けた声を零す。
それから思考を回転させ、の言葉の意味を考える。冷蔵庫が空、ということはつまり、今日の飯すら作れないという訳で。
全くの範疇外のことだ。花井には食材がないなどということは考えられない。むしろあれが安かったこれが安かったと母親は買い込みぎゅうぎゅうの状態で。
「……あぁ、買い物行く時間とかなかったもんな」
「そうなの。コンビニでお弁当でも買うかな。売れ残ってる……かな」
が一人で暮らしていることが、さらにありありと知れる。
「ごめんなさい、コンビニ寄ってもいいですか?」
は至極申し訳なさそうに花井に尋ねる。
花井としては、それくらいの寄り道など構わない。しかし、問題なのはそんなことではなくて。
「明日も買い物出来ないよな?そうだよな、5時から9時まで練習だもんな。それでお前、明日からの昼飯とか、晩飯は?」
「え?え……と、スーパーとか行けるまでコンビニのお世話になる……かな」
片手を自転車に残しながらももう一方の手をがしりとの肩に置き、妙に意気込んだ花井に若干押されつつはその顔に戸惑いの色を浮かべながらも明日からの食生活について律儀に答える。
花井の言うとおり、忙しすぎて買い物など出来る暇はないから、おそらく言った通りになるだろう。
返された答えに、花井は大きくその肩を落とし大袈裟ともとれる所在で溜息をついた。
「……花井、君?」
「。マネジ業頑張ってくれんのはすげー助かるけど、もうちょっと自分のことに気ィ遣えよ」
「あの、だって」
「だってじゃねーし」
もういーや、と花井は呟くと、携帯電話を取り出した。
その動作を、はぼんやりと見る。
何故そんなに自分のことを聞くのかわからない。何日かコンビニ食が続けば、それはもちろん飽きるかもしれないが、耐えることはできる。
ソレが当たり前になるようではも何か対策を講じなければならないが、その前に買い物に出る時間くらいは取れるだろう。
体には悪いが、花井が心配するようなことでも……。
「……てことだけど、聞いてた?」
「え?はいっ?何をですか?」
電話の内容を盗み聞くなどのことが思考に組み込まれてもいなかったので、はきょとんと首をかしげた。
その様子に花井はもう一度軽く溜息をつく。けれどそれは呆れというよりも仕方が無いなという感じの。
どこまでも優しげのあるそれに、目を奪われたのは事実だ。
「?」
「いえっ、なんでもない……です」
次は訝しげに細められた目に慌てて釈明し、は口を開く。
目を奪われる、とは。彼の容姿が整っているのは百も承知で、そんなの始めに会ったときから顔など知っているはずなのに。
今更、格好良いなど。そんなの、ずっと前から思っていたのに今此処で改めて感じた。
彼の、柔らかい笑顔は落ち着く。
「んならいいけど。……晩飯余ってるって。食いに来いよ」
ぱたん、と携帯を閉めて仕舞いながら何でもないようにさらりと言われたそのことにはぽかんと口を開けた。
「え……えぇっ?」
もう十分に頼っている自覚はある。寄りかかっても良いんだと彼は言うけれど、それはどこまでなのか。
その判断をつけることは、思う以上に難しくて。
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