夢を見る。
懐かしみか、慕わしいのか。
ただ、想い、思うのみ。



響く 02



慣れているのだ、一人には。
此処に来ていなくたって自分は一人だった。だから。
ちゃん、お弁当包んどいてあげたよ!!あたしは寝るからね!!いってらっしゃい」
「あ、ありがとうございます!!」
大きな欠伸をかみ締めることもなく隠すこともなくし、自らの部屋へと戻る大家をは見送る。
作ったお弁当を(作ることはがした)布に包んでくれ、挨拶をしてくれる。
新鮮な、そんな感じ。
嬉しい。
寝ていてもいいのに。可愛げなくそう思うが、けれど誰かが居てくれるというありがたいその事に言えたことはない。
どうやら、の今まで出会った人たちには世話好きが多いらしい。
毎朝朝靄が立ち込める時間にも関わらずわざわざ出てきてくれる大家といい、そして。
ー。はよ」
「おはよう、花井君」
こちらも毎朝迎えに来てくれる花井といい。



「それにしてもみたいな物好きもいないだろうな」
「何が?」
特別なことを好んでいる覚えはない。はことん、と首をかたむける。
まるで自覚のないを、花井は呆れたように見つめた。
花井が思うには、だ。こんな、通常ではありえないほど早い(実は自分でも驚くほどに嫌だとは感じていないが)、しかもマネージャーが来る必要のない集合時間に間に合うため起きるは物好きとしか思えない。
着いて何をしているかと思えば草刈をしていたりボールの修理をしていたり飲み物の準備をしてくれていたり犬と戯れていたりはたまたにこにこと練習風景を眺めていたり。いや、存分に助かっているからどうこう言える立場ではないが。
「いいんだぞ?無理しなくて。毎朝辛いだろうしさ」
「言うほど、そんなことないんだよ。楽しいもの。野球ってこんな楽しいものだったんだね」
知らなかったなぁと呑気にとも言える様に笑うに無理は見えず、本人がそう思うならと花井はそれ以上言うのを止めた。
そもそも花井がこの時間に共に行こうとするを説得しようとしたのは男女の体力のなさ、そしてその他もろもろの違いであったが、が体力を使うようなことはない。
女といえば監督である百枝だっているのだ。甘夏つぶしを二度にわたり行い挙句の果てケツバットまでぶちかました我らが監督と同等に扱っても良いのかという疑問は残るが本人が大丈夫というのならそうなのだろう。
「ところでさ」
は花井を見上げることで聞いている意を示した。恵まれた身長を持つ花井と目を合わせようとするならばどうしてもは見上げなければならない形になる。
「引越してきたの、の様子みてたら急なことだったんだってわかっけど、後から親が来る予定なの?」
一人暮らしだと計らずとも耳に入ってしまい驚いたものだ。そのことも重なり夜遅くにわたる練習の後毎回彼女を送り届けている。
変なことを聞いたつもりはこれっぽっちもなかったのだが、合っていた視線が下へと落ちたを見て花井は慌てた。
何か触れてはいけないことに触れてしまったか。けれども、どう取り繕えば良いのか。
「いない、の。ううん。いるけど、会えない」
考えあぐねているうち、から伝えられたその事実に、花井は何か言おうと口を開きそして何も言うことが出来なかった。
きっと、彼女に自覚はないのだろう。しかし全くの無表情で何の抑揚もなく淡々とした口調に、花井は逆に困惑する。
「私は、一人だから」
「違うだろ!!」
いきなりの怒声に、の肩が大きく跳ねた。自分の声に、花井は自らも驚く。
ああ、またやってしまった。頭の隅でそう思うもののそれすら些細なことだった。何てことを言う。
『会えない』という言葉がどういう意味なのか花井にはわからない。それについて言える言葉を花井は持っていない。
しかし、『一人』だって?そんなこと。
「俺がいるだろ!!」
気付けば叫んでいた。どうしてこんなにも腹立たしいのかなど考えてはいない。
横に並んでいたその小さな体の、肩を引き寄せ向かい合わせる。自転車ががしゃんと倒れた。
前にもそういえば倒したな。傷がつくくらいどうでもいいが壊れてはいないことを祈る。
「花井く……」
瞳をこれ以上ないほど大きく開き、は呆然と立っていた。名を紡ぐがそれは小さく掠れて聞き取れたかどうか。
「俺だけじゃないけど。あの大家だっているだろ。篠岡だって友達なんじゃないか」
「ごめん」

「ごめんなさい」
「……………………いや」
謝罪の言葉は、か細い声でもはっきりと聞き取ることが出来る。
沈黙が流れる。此方の顔を見ないは、ずいぶんと小さく見えた。
どうしたものか。花井は気まずさからこちらも視線をからずらすと、間合いを計るかのように自転車をおこすことにした。
「あのさぁ、嫌なこと聞いたんなら、ゴメン」
尋ねるべき質問ではなかった、との様子を見ればわかる。
小刻みに頭をふりつつ、止まっていた歩みを再び並んで歩き出すに花井はほうと息をつく。
隣に居るのも嫌だとは思われていないらしい。逃げられたらどうしようと密かに考えていたので安心した。
「違うの。…………ありがとう、嬉しいの」
気を落ち着けるように一度深い呼吸をしたは、今度はぴたっと視線を合わせる。
もう揺れているようには見えない。
は静かに何時もどおり微笑み、花井もようやく普段どおりに笑った。



――――親は?
そんなこと知らない。わからない。
この土地に来て初めてしたことは、調べること。
家もあって、食べることもできて、暮らせていて。
何処かへ飛ばされて、けれど何故かが不便に思うことなどなにもなかった。は、きちんとこの土地に組み込まれている。が、だけが。
わからない。ううん、わかっている。だからこそ、出た言葉だった。私は一人。
鋭くに切り込んできた花井は、だからこそに届く。
なんの飾りなく、本当にそう思っているがゆえに心が思うまま叫んでしまったという風に。しまったと、ほんの一瞬だけ止まった仕草がそれを物語っていた。
――――俺がいるだろ!!
嬉しかった。ただただ嬉しかったのだ。涙が零れ落ちてしまいそうで、けれどここで泣くのはあまりにも自分勝手だと思ってなんとかこらえた。
今までくらしていた世界と、何も変わらない。けれどただ一人落とされたこの土地で暮らすのが嫌な訳ではないのだ。むしろ、居心地は良くて。
でも、誰もいないことは事実だったから。
ありがとう、ありがとう。
何度も助けられて、やっとわかったよ。
私は独りなんかじゃなかったね。
夢なんじゃないのか、と今でも思うことがある。朝起きるたび、此処はどちらなのか考えている自分がいる。
認めなくてはね。私は、西浦に通っているの。野球部の皆と出会えたの。
繕わずに言えるよ。
「花井君」
「何だ?」
笑ってくれたとはいえまだ若干気まずそうに、それでも傍らを歩いてくれる花井に出来るだけ何気なさを装い言う。
それは恥ずかしかっただけだけれど。
「花井君は、優しいね。花井君の隣を歩けて嬉しいなぁ」
本音の本音。あの地のことは夢に思うのみ。
今は、これだけでいい。



「おーす、花井、ー!!」
「おはよう田島君」
「…………はよ」
口数少なく目を合わさずに荷物を置きにベンチへと一目散に向かう花井に、田島は大きく首を捻った。
たたた、と小走りしばんっ、と景気良くその背を叩く。
「どしたー花井!!」
「何でもねェよ」
「ん?何で顔あけーの?」
「何でもねェっつってんだろうが!!」
触れないでくれ、そういうシグナルを十分に出した。今田島がいる位置が栄口なら、いや、もしくは他の誰の部員であってもそっと離れるくらいはしてくれたのかもしれない。
しかし、実際いるのはあの田島だ。
ー、花井が何で顔あけーのか知ってる?」
最悪だ。ここでにふるか?最も陥りたくなかった事態へと最短で見事に陥り花井は傍目にもわかるほどがくりと肩を落とした。
田島の大きな声にそれぞれ他愛のない話をしていた他の部員の注目も自然に集まる。
「え?」
「何かあったの?」
「別に……」
それでいい。何もなかった。花井はほっと息をついた。もう心構えなくあの酷く心臓に悪い爆弾はくらいたくない。十分だ。
「え……っと……、花井君は優しいなぁ、って話?」
しかし花井の願いも虚しくそれは再び放たれる。
「ああ、うん。花井だもんなー」
「そうだね」
にこにこと笑い合う二人に突っ込みたい。
自分だから何だというのだ。というか、周りの視線が突き刺さる。
「ふーん、優しいなぁって話ねェ」
「ああ、褒められて照れてんのか」
「うるせー」
あの突然の攻撃をお前達も食らってみろ。
言いたいのは山々だが今以上にからかわれるのは明白である。花井はぐっと堪えた。
「恥ずかしい言葉さらっと言うなよなァ……」
隣歩けて嬉しいって何だよ。意味わかんねェ。
聞かせるつもりでなく呟いた言葉はしかし傍にいた泉に聞き取られたようだった。
「思ったことそのまま出ちゃう感じ?」
田島の隣を歩く相馬を見ながら泉は無造作に呟く。
長い付き合いがあるわけではないが、自分でもなんとなくつかめてきた彼女の性質。
照れることを、惜しみなくさらりと言う。まるで心からそう思っているのだというように。
「その通りだ泉」
花井は力強く頷いた。
「意識してやってんじゃないだろうし、性格だから直らねーんだろーなぁ」
にやり、と泉は人の悪い笑みを浮かべた。
「ま、慣れだな慣れ。せーぜー頑張れ」
「助けナシかよ」
「オレ田島と三橋でなれてンもん」
先いってんぞーと言い残し出て行った泉の後姿は今までになく男前に見える。
「……は田島に三橋属性なのか?」
泉の見解に、花井は疲れきったように項垂れた。嫌ではない。けれど素直でない自分はすぐに嬉しそうな顔をすることができない。
花井はこれが最後と大きな溜息をはなつと、ぱちんと両頬を叩き切り替える。
――嬉しいなぁ
彼女の声が、言葉がまだ残っている。
さて、いつまでも、赤い顔のままでいるわけにはいかない。



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